『祈りが聞かれるために』(2023.12.17礼拝)

礼拝説教題『祈りが聞かれるために』 詩篇66篇13-20節

【主題聖句】
もしも不義を 私が心のうちに見出すなら 主は聞き入れてくださらない。(詩篇66:18)

クリスチャンに与えられている最大の特権は「祈り」です。祈りは神様の全能の御手を動かせる力であり、私たちが御心にかなう祈りをするなら、どんなことでもかなえられるのです(マタイ18:19)。しかし私たちが祈っても聞かれないことがしばしばあります。この詩篇の作者もそのような経験をした人です。では祈りが聞かれるために大切なことは何かを学びましょう。

第一に、神様に誓ったことを遅らせないことです(伝5:4)。神様は契約の神です。約束を絶対に守られるお方です。それゆえ私たちがバプテスマにおいて神様に誓約しながら果たしていないと(1ペテロ3:21)、神様はそのことを私たちに気づかせようとして祈りを聞かれないことがあるのです。

第二に、神様を恐れる心を失わないことです。私たちは信仰生活に慣れると、いつしか神様が祈りを聞かれるのは当たり前だと考えてしまうものです。しかし決して当たり前ではありません。祈りが聞かれるのは神様の一方的な愛と恵みとあわれみによるものです。もしそのことを忘れて心が高慢になるならば、神様は私たちの祈りを聞かれないでしょう(ヤコブ4:6)。

第三に、私たちの心のうちに不義があるなら、神様は祈りを聞き入れてくださいません。神様は完全に正しくきよいお方です。祈りはその神様の恵みの御座に大胆に近づいて、神様と親しく交わる行為です(ヘブル4:16)。ですから私たちは心の汚れたままでは神様に近づくことはできず、祈りを聞いてもらえないのです(イザヤ59:2)。不義があるなら告白し悔い改めて、イエス様の血によってきよめていただいてから祈りましょう(1ヨハネ1:9)。
神様は私たちから御恵みを取り去られることはなく、私たちの祈りを決して退けられません。むしろ私たちのつたない祈りの声に絶えず耳を傾けてくださり、確かに聞き入れてくださるのです。ほむべきかな、わが神。

三谷浩司 牧師