『主が私たちの味方でなかったら』(2026.4.19礼拝)
礼拝説教題『主が私たちの味方でなかったら』詩篇124篇
【主題聖句】
「もしも 主が私たちの味方でなかったなら。」 さあ イスラエルは言え。 (詩124:1)
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
「もしも、主が私たちの味方でなかったら」と考えるのは恐ろしいことです。なぜなら、私たちの周囲には数えきれないほどの敵が待ち構えているからです。それでは、どんな敵がいるのか幾つか挙げてみましょう。
第一に、罪です。罪は一生涯私たちに付きまとい、私たちを常に攻撃し続け、私たちの心に休まる暇を与えてくれません。第二に、思い煩いです。思い煩いは私たちの生活のあらゆる場面で起こり得ます。そして私たちの心から喜びと平安を取り去ります。第三に、苦難です。苦難は私たちの最も嫌な敵と言えるでしょう。誰も苦難には会いたくないです。しかし苦難は必ずやって来ます。避けて通ることはできません。第四に、悪魔です。悪魔は私たちの最も強力な敵であって、悪魔の持つ最終的な武器は「死」です。私たちには悪魔にも死にも打ち勝つ力はありません。
しかし感謝なことに、イエス様を信じたならば「神が私たちの味方」となってくださり、だれも私たちに敵対することはできません(ローマ8:31)。なぜなら天地を造られた神様は絶対的な勝利者ですから、この方が味方である限り、私たちもまた「圧倒的な勝利者」となれるのです(ローマ8:37)。
すなわちイエス様が私たちの代わりに十字架にかかって死なれたことで、私たちのすべての罪を赦し、罪の奴隷から解放してくださいました。また三日目によみがえられたことによって、死と悪魔に勝利されました(ヘブル2:14)。さらにイエス様は常に私たちと共におられ、もし私たちが思い煩いをゆだねるなら、いっさい取り去ってくださいます(1ペテロ5:7)。そうして私たちの経験する苦難をも栄光に変えられるのです(2コリント4:17)。
「もしも、主が私の味方でなかったなら」「もしも私がイエス様を信じていなかったら」と自分の心に問いかけてみてください。イエス様を信じて救われていることが、いかに幸いかを深く覚えることができるでしょう。
三谷浩司 牧師
