『主よ、あわれんでください』(2026.4.12礼拝)
礼拝説教題『主よ、あわれんでください』詩篇123篇
【主題聖句】
あわれんでください 主よ あわれんでください。 私たちは 蔑みでいっぱいです。 (詩123:3)
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
「あわれむ」とは、立場の上の者が下の者に対して、あるいは持てる者が持たざる者に対して、深い思いやりや親切心を示すことです。まさに創造主なる神様が、被造物である罪人の私たちを救ってくださること、祈りを聞いてくださることは、あわれみ以外の何ものでもありません。
この詩篇の背景は、バビロン捕囚から帰還したユダヤ人たちが外敵の嘲りと蔑みによって苦しめられていた状況下だと思われます(ネヘミヤ2:19)。彼ら自身には敵に立ち向かう力はありませんでした。しかし彼らは天の御座に着いておられる全知全能の神がついていることを知っていました。それゆえ彼らは主に向かって目を上げて、あわれみを乞い願ったのです。
奴隷(女奴隷)の目が主人(女主人)の手に向けられているとはどういう状態でしょうか。それは主人の指示にすぐ従えるようにというよりも、主人が自分にあわれみを施してくれるのを期待して待ち構えている状態だと思います。信仰の目を上げ、心低くしてあわれみを待ち続ける者を主は決してお見捨てにはなりません。イエス様に娘の癒しを願って「主よ、私をあわれんでください」と叫び続けたカナン人の女は、「小犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます(マタイ15:27)」と言いました。その信仰をイエス様は「立派」だと言われて、彼女の願いを聞かれたのでした。
イエス様は天の神の右に着座されて、私たちのためにとりなしてくださっています(ローマ8:34)。そしてすべての点において私たちと同様に試みにあわれた主は、私たちの弱さに同情できない方ではありません(ヘブル4:15)。ですから私たちも主に向かって目を上げ、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づき(ヘブル4:16)、「主よ、あわれんでください」と祈りましょう。
三谷浩司 牧師
