『真の住まいを見出す』(2026.6.21礼拝)

礼拝説教題『真の住まいを見出す』 詩篇132篇1-10節

【主題聖句】

主のために 一つの場所を ヤコブの力強き方のために 御住まいを 私が見出すまでは。」(詩篇 132:5)
                        

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

 この詩篇はダビデが契約の箱をエルサレムに運び上った時、あるいは主の家を建てようと決意した時の思いを歌ったものでしょう(I歴15:1,3、2サムエル7:5)。前半では「主の住まいを見出す」ことの大切さが語られます。
この時ダビデは豪華な王宮に住んでいました。しかし彼にとって「真の住まい」とは王宮ではなく、主が臨在され、主と深く交わることのできる場所でした。たとえそれが荒野であっても、ダビデはそこを聖所として主と交わったのです(詩63:2)。特に苦しみの中に置かれた時、その場所を見出すまでは自分の家で休まず、眠ることもしないと主に誓いました。
かのアウグスティヌスは「私たちの心は、あなた(神)の御許に憩うまで、安息を得ることができません」と述べています。そうです。私たち人間は神様によって創造されました。それゆえ私たちの真の住まいとは、神の御許で憩うことなのです。その住まいを見出さなければ真の安息は決して得られません。しかしその住まいを見出して主と深く交わるならば、たとえ困難の中に置かれたとしても真の安息を得ることができるのです。
イエス様を信じたクリスチャンには聖霊なる神様が内住されています。それゆえ私たち自身が「神の宮」であり(1コリント3:16)、いつでもどこででもそこを「主の御住まい」として主と交わることのできる恵みを得ています。
また主の御住まいには契約の箱が運び込まれて安置されます。それは新約では主の御言葉を土台とした教会に当てはまります。そこで私たちクリスチャンは一人ひとりが義の衣をまとった聖なる祭司として、「霊の家」である教会において主に仕え、祈り、主を賛美するのです(1ペテロ2:5)。
苦難の絶えない罪の世で信仰者として生き抜くためにも、主と交わることにより魂の安息を得られる真の住まいを何としても見出しましょう。

三谷浩司 牧師