『乳離れした信仰者とは』(2026.6.7礼拝)

礼拝説教題『乳離れした信仰者とは』 詩篇131篇

【主題聖句】

まことに私は 私のたましいを和らげ 静めました。 乳離れ した子が 母親とともにいるように 乳離れした子のように 私のたましいは私とともにあります。(詩篇 130:4)
                        

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

 聖書は「幼子のような純真な信仰」を持つように勧めますが(マタイ18:16)、「乳飲み子のような未熟な信仰者」のままでいなさいとは教えていません。
 信仰を持ちたての時は、成長するために「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい(1ペテロ2:2)」と命じられています。しかしある程度成長したら「乳」すなわち「神のことばの初歩」を離れて「堅い食物」を食べられるようになる必要があります(ヘブル5:12)。「固い食物」は良く咀嚼しなければ食べることができません。つまり「乳」のように生存本能だけで飲むのでなく、時間をかけて御言葉をじっくり味わい、そこから自分に必要な霊的な栄養素を十分に吸収するのです。それで御言葉によって善と悪を見分ける感覚を身に付けます(ヘブル5:14)。
 そうすれば、空腹や抱っこしてくれという欲求が満たされないと泣き叫ぶ乳飲み子のような未熟な信仰者ではなく、共におられる神様に信頼して、落ち着いて静かに祈り待てる信仰者となるでしょう(イザヤ30:15)。
 ただし乳離れしたとしてもまだ子どもです。自分の限界、立場をわきまえず分を超えた考えや無謀な行動をしてはなりません。謙虚になって自分自身が弱くて無力であり、神様の助けが常に必要な者であることを忘れず、どんな場合にも父なる神様に全面的に拠り頼むのです(箴3:5)。実はそれこそが「キリストにある成熟した大人の信仰者」の姿なのです。
 ユダヤでは乳離れは通常3歳です。イエス様は弟子たちを3年半の間訓練されました。パウロはエペソ教会の長老たちを3年間訓育しました(使20:31)。そのように主にある忠実な信仰生活を送って御言葉の学びと訓練を受けるならば3年程で乳離れした信仰者となれます。その上で、共に成熟した大人の信仰者を目指して歩んで行きましょう(エペソ4:13)。

三谷浩司 牧師