『人とは何ものなのでしょう』(2026.10.25礼拝)
礼拝説教題『詩篇144篇1-8節
【主題聖句】
主よ 人とは何ものなのでしょう。 あなたがこれを知っておられるとは。 人の子とはいったい何ものなのでしょう。 あなたがこれを顧
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
みられるとは。(詩篇144:3)
この詩篇の七十人訳(ギリシャ語)では表題に「ゴリアテに対して」と加えられており、ダビデが巨人ゴリアテとの戦いに際して祈ったものとされています。複数の詩篇からの引用で構成されていますが、前半では私たちが敵と直面した時にどう戦うかを教えてくれます。
第一に、神様の幾重もの守りを信仰の目によって知ることです。全能なる神様の御手の守りは一つで十分なはずです。しかし神様は私たちを安心させるために、これでもかと言わんばかりにあらゆる恵みで私たちを守られて、敵から救ってくださるのです(詩18:2-3)。
第二に、なぜ神様が私たちをそこまで顧みられるのかを知ることです。いったい「人」とは何ものなのでしょうか?神様は人をご自身の似姿に創造されましたが(創1:27)、すべての人は罪を犯して神様から遠く離れて、神様にとって地の塵に等しい「無用の者」となりました(ローマ3:12)。しかしそれでもなお人は神様の目には高価で尊く、御子いのちを代わりにするほど愛すべき存在なのです(イザヤ43:4)。
第三に、神様がどのように私たちを救われるかを知ることです。それは天から御手を伸べるばかりか天を押し曲げて降りて来られた、すなわちキリストが神の御姿を捨てて人となられて地上に来られ(ピリピ2:6-8)、私たちのすべての罪を負われて十字架で死なれた後、三日目に復活されて、最大の敵である罪と死に勝利されたのです。
それらのことを知る、つまり心から信じて告白することが私たちが救われる唯一の道であり、あらゆる敵や困難に勝利する秘訣です。なぜなら戦うのは私たちでなく、愛する子である私たちを守るために神様ご自身が代わりに戦ってくださるからです(1サムエル17:47)。
三谷浩司 牧師
