「栄光の王とは誰か」(2022.10.09礼拝)

礼拝説教題『栄光の王とは誰か』詩篇24篇

【主題聖句】
 門よ おまえたちの頭を上げよ。 永遠の戸よ 上がれ。 
 栄光の王が入って来られる。 (詩篇24:7)

この詩篇は、ダビデが「主の契約の箱」をエルサレムに運び上ったときに歌われたものだと考えられています(1歴15章)。契約の箱は主なる神様の臨在と栄光と御力の象徴であり、ダビデは王都エルサレムに神様を迎え入れることを大いに喜び、賛美をもって神様への信仰を告白したのでした。
 第一に、神様は世界とその中にいるすべてのものを創造され、支配しておられるお方です。つまり神様は契約の箱の中に住まわれるような小さな方ではなく、神殿を建設したソロモンも告白したように宇宙さえも入れることができないほど大いなるお方なのです(1列8:27)。しかしそのお方が、神の民のただ中に住んでくださると約束してくださいました(1列6:13)。その約束により、私たちも「聖霊の宮」とされているのです(1コリント6:19)。
 第二に、聖なる神様の御前に立って礼拝できるのは、神様に救われて義とされた者だけです。私たちの心は罪で汚れており、行いも汚れています。そうした汚れた罪人である私たちが神様に近づくためには、イエス様を信じる信仰によって義と認められなければなりません(ガラテヤ2:16)。そして神様は、御顔を慕い求める信仰者を祝福してくださるのです(ガラテヤ3:9)。
 第三に、門戸を開かなければ、栄光の王なる主は入って来られません。神様は「万軍の主」であり、絶対的な主権を持っておられますが、私たちの同意なしに私たちを強制的に救うことはおできにならないのです。それは神様は私たちを「神のかたち」すなわち自由意思を持つ存在として創造されたからです(創1:26)。イエス様はいつでも私たちの心の門戸を叩かれ、私たちを救い、私たちの中に入って親しく交わりたいと願っておられます(黙3:20)。それゆえ不信仰になって心を閉ざすことなく、心の門戸を開き、栄光の王なるイエス様を迎え入れて心の王座に着いていただきましょう。

三谷 浩司 牧師