『涙と共に種を蒔く者は』(2026.5.3礼拝)

礼拝説教題『涙と共に種を蒔く者は』詩篇126篇

【主題聖句】

涙とともに種を蒔く者は 喜び叫びながら刈り取る。(詩126:5)
                        

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 

 この詩篇は、バビロン捕囚からイスラエルの民が最初に帰還した時に歌われたものでしょう。それは70年もの間待ちわびていたことであり、実現した時には夢を見ていると思えるほどの大きな驚きと感動と喜びがありました。またそれを見た諸国の民も主の御業をほめたえたのでした。
 しかし現状はなおも困難でした。神殿と城壁は破壊されたままであり、荒廃した地での帰還民の生活は困窮し、しかも外敵の妨害がありました。そのような望み得ない状況で彼らにできることは、ただ「大いなることをなさった」主に拠り頼んでエルサレムの復興を祈り求めることだけでした。
 「ネゲブ」はイスラエル南部の荒野です。「ワジ」と呼ばれる川は、乾季は水が全くありませんが雨季になると激しい水流が生じ、ほとりに緑が青々と茂るのです。それは乾季時には信じ難い光景です。彼らはそれと同じように自分たちを元通りにしてくださいと、神殿が再建し、城壁が修復され、多くの民が帰還するように祈ったのです。そしてそれが実現した時、彼らは喜びに満たされて主を賛美しました(エズラ6:16、ネヘミヤ12:27)。
 また彼らは「収穫の主」に期待しました。当時の農耕は自然任せであり、種を蒔いても日照り続きで苗が育たず収穫が見込めないこともしばしばでした。それでも彼らは涙を流しつつ、天地を造られた主に拠り頼んで、収穫を期待して祈りの種を蒔き続けたのです。そして主の恵みによって豊かな収穫が得られた時、彼らは喜び叫びながら刈り取ったのでした。
 教会の福音宣教の働きも同様です。福音の種をいくら蒔いても長期間全く収穫がないこともあります。しかし涙して祈りつつ、失望しないで蒔き続けるなら、時が来れば刈り取ると約束されています(ガラテヤ6:9)。そして一人の罪人が悔い改めて救われた時、私たちは天の御使いたちと共に喜びに満たされ(ルカ15:10)、大いなることをされた主を賛美するのです。

三谷浩司 牧師