『主の家を思う熱心』(2024.2.4礼拝)
礼拝説教題『主の家を思う熱心』詩篇69篇1-12節
【主題聖句】
それは あなたの家を思う熱心が 私を食い尽くし あなたを 嘲る者たちの嘲りが 私に降りかかったからです。(詩篇69:9)
69篇は多くの節が新約聖書に引用されているメシヤ詩篇の一つです。長いため三回に分けて学びますが、この詩篇からはクリスチャンがキリストのゆえに受ける苦難と、それに対処する方法を学ぶことができます。
第一に、正当な理由なく憎まれることがあります。ダビデはサウル王の忠実な戦士にして娘婿でしたが、妬みによってサウルに憎まれ(1サムエル18:8)、命を狙われることになりました。イエス様も何一つ罪を犯していないにもかかわらず、祭司長や律法学者たちに憎まれ、十字架で殺されました(ヨハネ15:25)。キリストにあって正しく生きようとする私たちも人々から憎まれることがありますが、聖書の教えの通りです(2テモテ3:12)。
第二に、私たちの苦難が周囲の人々のつまずきとならないように祈りましょう。ダビデは自分が主の前に罪人であることを認めつつも、今の状況は自分の罪の結果ではないことを知っていました。もしこの状況で彼が落ち込み、主を疑ったり呪ったりするなら、彼の周りにいる人々は信仰的につまずいたことでしょう。むしろ苦難を喜ぶことができたなら、私たちは周囲の人々を励まし、証することができるのです(1ペテロ4:13)。
第三に、苦難がある時こそ熱心に教会に集いましょう。ダビデは荒野の逃亡生活の中でも「聖所で主を仰ぎ見ている」と言いました(詩63:2)。9節はイエス様の「宮きよめ」の事件の時に引用されていますが(ヨハネ2:17)、イエス様は教会を愛し、教会のためにご自分のいのちまでもささげられました(エペソ5:25)。初代教会のクリスチャンたちは、激しい迫害の中にありながらも教会に集まることを止めず(ヘブル10:25)、熱心に祈り、熱心に御言葉を学び、熱心に伝道したことによって爆発的に成長したのです。私たちも彼らに倣いましょう。教会こそ、私たちの信仰の堅固な砦です。
三谷浩司 牧師