『バビロン川のほとりで』(2026.8.16礼拝)

礼拝説教題『バビロン川のほとりで』詩篇137篇

【主題聖句】

バビロンの川のほとり そこに私たちは座り シオンを思い出して泣いた。(詩篇137:1) 

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 この詩篇はバビロン捕囚から帰還したレビ人の作だと考えられます。彼らは捕囚時代の迫害の苦難を振り返りながら、破壊者および迫害者であるバビロンに対する神による復讐を願い求めています。ここから私たちが信仰者として、この世の迫害にどう対応すべきかを学びましょう。
 第一に、迫害を恐れて世に妥協せず信仰によって立ち向かうことです。彼らは遠い異国の地バビロンの川を眺めながら祖国のヨルダン川を思い出して、竪琴を奏でて主に賛美をささげようとしていたと思われます。そこにバビロン兵たちがやって来て余興として歌えと命じられた彼らは、迫害を恐れずに断りました。戦時中、日本の教会は礼拝時に君が代斉唱、武運長久祈祷、宮城遥拝を国家に強要され、信仰を理由にそれを拒んだ牧師は逮捕され、教会は閉鎖させられました。それでも「人に従うより、神に従うべき(使5:29)」です。そうする者を主は守り祝福してくれます。
 第二に、たとえ公に主を礼拝することが困難な状況の中に置かれたとしても、個人的に主を礼拝すること、賛美することをやめてはならないことです。初代教会のクリスチャンたちは迫害されていた時代、地下の墓所に夜毎に集まって礼拝をささげ続けました。その結果、信者の数は爆発的に増えていき、ついに礼拝の自由を勝ち取ったのです。私たちも困難に耐え忍び礼拝と賛美を守り続けるなら、必ず主が道を開かれます。
 第三に、破壊者も迫害者も主が最終的に滅ぼしてくださることです。エドムはバビロンに、バビロンはペルシアに滅ぼされました。それは主のなされた復讐です。同様に主は破壊者であるサタンとサタンに従った迫害者たちも火の池に投げ込まれて永遠に滅ぼされます(黙20:10)。それゆえ私たちは自分で復讐せず、主にゆだねることが大切です(ローマ12:19)

三谷浩司 牧師