『偶像に頼る愚かさ』(2026.7.26礼拝)
礼拝説教題『偶像に頼る愚かさ』詩篇135篇13-21節
【主題聖句】
異邦の民の偶像は銀や金。 人の手のわざにすぎない。 口があっても語れず 目があっても見えない。(詩篇 135:15-16)
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
135篇前半は「神の宝の民」とされた者の幸いを学びました。後半はまことの神を知らずに「偶像に頼る者」がいかに愚かであるかを学びましょう。
第一に、偶像とは生ける唯一まことの神を知らない人の手によって、金銀などの地上の材料によって作られた空想の神の模型にすぎません。日本の仏像もそうですが、なぜそのような物が作られるようになったのでしょうか。それは神の似姿に創造された人間には神を慕う心すなわち宗教心があり、目に見えない神を目に見える形にして、それに頼ろうとするからです。実際イスラエルの民がエジプトを脱出した後、モーセがシナイ山に上って四十日間も降りて来なかったために、アロンに命じて「金の子牛」を作らせて、それをまことの神の代わりとしました(出32:4)。
第二に、偶像には人を救う力は全くありません。生き物の姿に似せた偶像には目・鼻・口・耳・手・足があります。しかしそれには生命がないため、見ることも話すことも聞くことも、手や足を動かすことさえできません。そんな害にも益にもならないものに頼るのは愚かなことです(エレミヤ10:5)。
第三に、偶像に頼る者は、まことの神のいのちから遠く離れており、霊的に死んでいます(エペソ4:18,2:1)。たとえ地上でどんなに富み栄えて名誉や賞賛を手にしても、やがて死によってすべてを失い、かつ死後にまことの神の御前から退けられて永遠の滅びの刑罰を受けます(1テサロニケ1:9)。しかしイエス・キリストを信じ、まことの神に頼る者は、神との永遠のいのちのつながりを持ち、永遠に生きることができます(ヨハネ11:25)。
私たちもかつてはまことの神を知らず、偶像に頼る愚かな者でした。しかしまことの神はそんな私たちを愛し、あわれみ、御子のいのちまで犠牲にして滅びから救い出し、永遠のいのちを得させてくださいました。それゆえ私たちは、どれほどの感謝と賛美を神にささげても足りません。
三谷浩司 牧師
