『御手のわざを静かに考える』(2026.10.4礼拝)

礼拝説教題『御手のわざを静かに考える』詩篇143篇1-6節

【主題聖句】

私は昔の日々を思い起こし あなたのすべてのみわざに思いを巡らし あなたの御手のわざを静かに考えています。(詩篇143:5) 

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

 143篇は「悔改め詩篇」と呼ばれる七つの詩篇の最後のものです。これもダビデの生涯を記念しつつ、後世の人への教訓としてまとめられた詩篇だと考えられます。神様の御心にかなう、神様に祈りを聞いてもらえる真の悔い改めとはいかなるものかを前半と後半の二回に分けて学びます。
 第一に、自分が罪人であると素直に認めることです。ダビデはバテシェバとの姦淫、夫ウリヤの殺人という罪を犯しましたが、それを預言者ナタンに指摘された時、「私は主の前に罪ある者です」と認めたことで罪を赦されました(2サムエル12:13)。聖書は「義人はいない。一人もいない」と断言します(ローマ3:10)。すべての人は神様から迷い出て霊的に死んでおり、自分で自分を救うことは絶対にできません。だから罪のないキリストが私たちの罪を贖うために身代わりに十字架で死ななければならなかったのです(1ペテロ2:24)。悔い改めの出発点は自分が罪による「心の貧しい者(マタイ5:3)」すなわち霊的な破産者で、「みじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸で(黙3:17)」あり、救い主がどうしても必要だと認めることです。
 第二に、主の御手のわざを静かに考えることです。誰も自分の知恵や努力によっては魂の救いを得られません。私たちの魂を救えるのはただ主お一人です。ダビデは危機的な状況に置かれると、いつも心を静めて自分の魂を救ってくださった主の御業を思い起こしました(詩103:2-4)。「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る(イザヤ30:15)」と神様は約束されています。私たちも困難に遭って霊的に落ち込む時、心を静めてイエス様が自分の魂の救いのためにしてくださった十字架の御業を思い起こしましょう。そしてもし自分が不信仰に陥っていたら、どこから落ちたかを思い起こして悔い改め、救われた時の初めの愛に戻ることが大切です(黙2:4-5)。

三谷浩司 牧師