『主の光とまことを』(2023.5.21礼拝)

礼拝説教題『主の光とまことを』 詩篇43篇

【主題聖句】
どうか あなたの光とまことを送り それらが私を導くようにしてください。
あなたの聖なる山 あなたの住まいへと それらが私を連れて行きますように。(詩43:3)

聖書は、真の神様を知らないこの世界は罪に支配されており、暗やみであると教えています(イザヤ60:2)。なぜなら神様は光の源であり(1ヨハネ1:5)、神様に背を向けて遠く離れるなら、光は届かずに暗やみとなるからです。それが「罪」の状態であり、人間の心が暗いのも罪のためです(ローマ1:21)。そして罪は私たちの心を支配し、悪い行いをさせるのです(ローマ7:15、17)。

人間は自分の意思や努力で罪の暗やみから抜け出すことはできません。そしてそのままでいるなら、死後、神様にさばかれて永遠の暗やみである地獄に行くことになります(ユダ13)。だから何とかして抜け出さなければなりません。暗やみから抜け出すためには光を見つけ、光に導かれる必要があります。しかし、この世には真の光はありません。人間が造り出したあらゆる思想も哲学も宗教も、ひと時だけ輝いて消えるロウソクのように不完全な光であり、私たちを罪の暗やみから救い出すことは不可能です。

だから愛なる神様は、真の光である御子イエス・キリストをこの世に送ってくださいました(ヨハネ1:9)。そしてイエス様は、私たちのすべての罪を負われて十字架にかかって死んでくださり、三日目によみがえられました。このイエス様を信じる者は誰でもすべての罪が赦されて、永遠のいのちが与えられ(ヨハネ3:16)、神の子どもとして新しく生まれ(ヨハネ1:12)、地獄に向かう暗やみから天国に向かう光の人生へと移されるのです(使徒26:18)。

イエス様を信じた人が毎週日曜に教会に集まって礼拝をささげるのは、真の光であるイエス様と交わることにより心が光で満たされるためです。そして礼拝で語られる御言葉の光に導かれ、神様に喜ばれる光の子どもとしての正しい人生を歩むためです(エペソ5:8-10)。そうすれば、もはや心が罪に支配されて暗やみの人生を歩むことは決してありません(ヨハネ8:12)。

三谷 浩司 牧師

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