『砕かれた霊 砕かれた心』(2023.8.6礼拝)

礼拝説教題『砕かれた霊 砕かれた心』 詩篇51篇11-19節

【主題聖句】
神へのいけにえは 砕かれた霊。 打たれ 砕かれた心。 
神よ あなたはそれを蔑まれません。(詩51:17)

この詩篇の前半では、人間の持つ原罪とどうしたら罪から救われるかを学びました。後半は、神様が救われた者に求めておられること、すなわち救われた者が神様に献げるべき「いけにえ」とは何なのかを学びましょう。

第一に、心を打ち砕かれた真実な悔い改めです。確かに罪を悔い改めてイエス様を信じることによって人は救われますが、救われてもすぐに同じ罪を犯すとしたら、それは真実に悔い改めたことにはなりません。真実な悔い改めとは、犯した罪を心から悲しみ、もう二度と同じ罪を犯さないと堅く決心することです。神様はそうした人の近くにおられ、罪で傷ついた心を癒してくださいます(詩34:18、147:3)。もちろん私たちは自分の力で罪を完全に抑え込むことはできません。だから聖霊の助けが必要なのです。

第二に、霊魂を砕かれて神様の前にへりくだることです(イザヤ57:15)。ここでの「霊」は「自我」と言い換えることができるでしょう。「三つ子の魂百まで」と言われますが、私たちの頑固で高慢な自我はそう簡単には砕くことができません。しかし聖霊が私たちの自我を打ち砕かれて謙遜にしてくださいます。その時、私たちは御霊の実の現われとして(ガラテヤ5:22)、救われていることを心から喜び、賛美する者となることができるのです。

第三に、救いの喜びを人々に証しすることです。ダビデも自分の経験を通して、自分と同じく罪の重荷で苦しんでいる人たちに罪から解放される救いの道を教えようとしています。それはダビデが自分が救われたことを心から喜び、心から神様に感謝していたからです。ここでダビデは「全焼のささげ物」を神様は喜ばれると言っていますが、それは献身を意味します。私たちもパウロが言うように自分自身を「聖なる生きたささげ物(ローマ12:1)」としてお献げして、神様に喜ばれる証人として用いられましょう。



三谷 浩司 牧師