『義人は一人もいない』(2023.8.20礼拝)

礼拝説教題『義人は一人もいない』 詩篇53篇

【主題聖句】
彼らはことごとく背き去り だれもかれも無用の者となった。       
善を行う者はいない。 だれ一人いない。(詩53:3)

この詩篇は14篇と大部分が同じですが、5節が大きく違っています。そこから14篇では神の民の救いが強調されており、53篇では神を否定する者へのさばきが強調されているように見受けられます。神を知らない者たちへの滅びの警告と、神を知っている者たちへの祝福が二度も繰り返して語られているのは、それが聖書全体が伝える重要な教えだからです。表題中の「マハラテ」は「病」という意味ですが、「死に至る病」である神様への背きの罪の重々しさを感じさせる調べで歌われたのでしょう(ローマ6:23)。


聖書は、神様が初めに創造された時の人間は「非常に良かった(創1:31)」と教えています。しかし彼らが神様に背いたことによって罪の性質が入り、人間は創造主なる唯一まことの神を否定するようになり、罪によって腐敗した心の欲望のままに神様に忌み嫌われる正しくない行いをするようになってしまいました(ローマ1:21,28-32)。イエス様は「情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯した(マタイ5:28)」と言われましたが、きよい神様の目には誰一人として正しいと認められる者はいないのです。


もし人間に罪がなく、この世界に罪の影響がなかったなら、人間は何も恐れる必要がなかったでしょう。しかし罪によって人間が人間を裏切り、暴力を振るい、虐げ、欺き、奪い取ることによって、人間が人間の最大の恐怖となりました。また人間の罪によって大地が呪われたために(創3:17)、自然界もまた様々な形で人間を恐れさせるようになってしまったのです。


そして神様を知らないすべての人間は、やがて永遠の滅びの刑罰を受け(2テサロニケ1:8-9)、目に見えるこの世界も火によって滅ぼされます(2ペテロ3:7)。しかしイエス・キリストを信じて神に立ち返る者は誰でも救われ、すべての罪を赦されて義と認められ、天の御国に入ることができるのです。もはやそこには呪われるものは何一つなく(黙22:3)、恐れもありません。

三谷 浩司 牧師