『全地は主を伏し拝め』(2023.12.10礼拝)
礼拝説教題『御恵みの冠』 詩篇65篇
【主題聖句】
全地はあなたを伏し拝みます。 あなたをほめ歌い あなたの御名をほめ歌います。(詩篇66:4)
「礼拝」は英語で「Worship」ですが、これは「ひれ伏す」また「ほめ讃える」ことを意味する言葉でもあります。すなわち礼拝とは偉大なる神様を畏れかしこんで御前にひれ伏し、その御業を心から喜びほめ讃えることです。
第一に、礼拝は全地のすべての被造物がなすべき聖なる義務です。なぜなら神様は全地のすべてのものをご自分の栄光のために創造されたからです(イザヤ43:7)。人間以外の被造物は自然の法則に忠実に従うことにより神様を伏し拝み、賛美していると言えるでしょう。私たち人間だけが自然の法則に逆らい、自分勝手な生き方をして聖なる義務を怠っているのです。
第二に、礼拝は神様の偉大な御業によって救われた民が、喜びと感謝をもって自発的にささげるものです。イスラエルの民は水が分かれた紅海を渡ってエジプトから脱出し(出14:21-22)、また同様にヨルダン川を渡って約束の地に入りました(ヨシュア3:15-17)。この奇蹟は神様が自然の法則さえ変えてご自分の民を救われるお方であることを示しています。その最大の奇蹟は神の御子が人となられて地上に降誕し、十字架にかかって死なれた後、三日目によみがえられたことです。それは永遠の滅びに向かっている私たち罪人を救うためでした。それゆえイエス様を信じて救われた人々は、主が復活された日曜日ごとに喜びと感謝をもって礼拝をささげるのです。
第三に、神様は礼拝者の心を清めるために試練を与えられるお方です。イスラエルの民は高慢になって心が神様から離れたために、捕囚の憂き目に遭いました。しかしそれは彼らの心を練り清めて、正しい礼拝者に回復するためでした。私たちも試練を受けた時、心が神様から離れていないか、清い謙虚な心で礼拝をささげているかどうか点検しましょう。もしそうでなければ、悔い改めて心を清めてから礼拝をささげましょう(ヤコブ4:8)。
三谷浩司 牧師