『人の内なる思い』(2023.11.26礼拝)

礼拝説教題『人の内なる思い』 詩篇64篇

【主題聖句】

彼らは不正を企み 「企んだ策略がうまくいった」と言っています。 人の内なる思いと心とは 底が知れません。(詩篇64:6)

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです(マタイ5:8)」とイエス様は言われました。しかし私たちが自分の心の中を見ると、そこは汚い罪で一杯です。でも、それを正直に認めることが救いへの第一歩です。
この時のダビデは息子のアブシャロムに命を狙われていました。それは彼の知らない所での密かな謀反の企みによるものでした。アブシャロムはダビデを中傷して民衆の心を盗み、ダビデの助言者アヒトフェルを呼び寄せて自分の側近とし、自分がダビデに代わって新しい王になったと突然に宣言させようとしました(2サムエル15:1-12)。ダビデはその企みに気付いて彼の家族と家来を連れて逃亡しますが、この詩篇はその時の心の思いです。

ダビデは「だれが見破ることができよう」「企んだ策略がうまくいった」と言う人たちの「内なる思いと心とは、底が知れません」と言っていますが、それは矢のように自分自身に跳ね返って来る言葉でもあります。なぜならダビデは密かな企みによって、彼が姦淫の罪を犯したバテ・シェバの夫であり、彼の忠実な部下でもあったウリヤを殺したからです(2サムエル11:15)。

ダビデ自身は預言者ナタンによって罪を指摘されて悔い改めたことにより罪を赦されましたが、それが原因で彼の家庭内で問題が相次ぎ、アブシャロムの謀反も起きたのです。そのアブシャロムも悲惨な死を遂げます。
そのように誰もが心の内は底が知れない罪の暗黒に満ちており、それを自分できよめることはできません(エレミヤ17:9)。そしてやがて永遠の滅びに至ります。だからイエス様はその罪をすべて赦し、真っ白にきよめてくださるために十字架で血を流して死んでくださり、三日目によみがえられたのです。そのことを信じる者は誰でも罪を赦されて神様の前に正しい人と認められ、ダビデのように主を畏れ、喜び、賛美する者とされるのです。

三谷浩司 牧師