『アサフの賛歌』(2024.4.7礼拝)

礼拝説教題『アサフの賛歌』詩篇73篇1-13節

【主題聖句】
まことに 神はいつくしみ深い。 イスラエルに 心の清らかな人たちに。(詩篇73:1)

詩篇の第三巻に入ります。73~83篇の表題にはアサフの名が登場します。アサフはダビデが礼拝における賛美のために任命した聖歌隊のかしらであり(1歴16:4-5)、霊的に優れた感受性を持っていた人物です。
まずアサフは神様のイスラエルに対するいつくしみ深さ(英訳は「良いことだけをされるお方」)をほめたたえます。ただしそれはすべてのイスラエル人にではなく、心の清らかな者たちにだけだとアサフは付け加えます。なぜなら、イスラエルには心の悪しき者がたくさんいたからです。

しかし現実では、悪しき者たちが富み栄えて幸せそうに暮らしているのをアサフは見て、信仰が揺らいでつまずきそうになっていたのでした。アサフは彼らを「妬んだ」と正直に告白しています。私たちも、この世の偽りの宗教の元に大勢の人が集まって信者となり、すごく広くて立派な会堂を建てているのを見ると、妬みに近い感情が生じることがあります。

聖書によれば「神は高ぶる者には敵対し(ヤコブ4:6)」「悪しき者には平安がない(イザヤ57:21)」はずなのに、まことの神様を恐れることもなく誇り高ぶって欲望のおもむくままに生きている彼らが、どうしていつまでも安らかで健康で死ぬ時も苦しまないのか…、そう考えたアサフは自分が心を清めて神様の前に正しく生きていることに空しさえ感じたのでした。

そんな時アサフは目に見える現実ではなく、目に見えない信仰の原点、まことの神様はどういうお方かという聖書の真理に立ち返えるのです。すなわち神様はご自分を恐れる正しい者、心の清らかな者たちに対して限りなくいつくしみ深く、かつ心の悪しき者たちには必ず復讐し、滅ぼされる真実なお方であると(詩145:20)。そのことを確信する時、たとえ現実がどうであろうとも、もはや悪しき者を妬む必要などなくなります。

三谷浩司 牧師