『神の御傍にいる幸い』(2024.4.14礼拝)

礼拝説教題『神の御傍にいる幸い』詩篇73篇14-28節

【主題聖句】
しかし 私にとって 神のみそばにいることが 幸せです。  私は 神である主を私の避け所とし あなたのすべてのみわざを 語り告げます。(詩篇73:28)

73篇の前半では悪しき者たちの繁栄と平安の現状を妬んだアサフの心情が描かれていましたが、後半では多くの苦難と葛藤を経てアサフの信仰が回復し、真の幸いとは何かを見出した彼の喜びが描かれています。

アサフは神様の御言葉に従った正しくきよい生活をすることによって、悪しき者たちから日々迫害を受けました。これは今の罪の世でも同様に起こり得ることです(2テモテ3:12)。彼はそのような不条理に心が耐え切れなくなり、周囲に若い世代の人たちがいるにも関わらず感情を爆発させ、神様と人との前で不信仰な言葉を発してしまいそうになったのでした。

しかし神様はそんなアサフと絶えず共におられ、彼の信仰がなくならないように支えられたのです(ルカ22:32)。そして彼は祈りつつ御言葉を思い巡らす中で、ついに悪しき者たちの最期について悟ることができたのでした(申32:35)。彼らは地上の生涯を終えるや否やすべてのものを失い(ルカ12:20)、死後の世界で激しい苦しみを受け(ルカ16:23)、永遠の滅びの穴に落とされるのです(詩55:23)。それは何と恐ろしい光景でしょうか。

それに対し、まことの神様に信頼する正しい者たちは、たとえ地上で良いものを得られなくとも、死後に神様からの豊かな慰めと祝福を得られます(ルカ16:25)。そしてやがて朽ちることのない栄光のからだによみがえらされて天に引き上げられ、いつまでもイエス様と共にあり、御国で永遠に生きます(1テサロニケ4:17-18)。これ以上に幸いなことはありません。

もちろん「それは分かっているけれど現実は苦しくて辛い」と言う人も多いと思います。だからこそ神様は絶えず私たちのそばにいてくださり、弱い私たちを守り、支え、助けてくださるのです。それゆえ私たちは、どんな時も神様の御傍にいて、神様を愛し、神様を避け所としましょう。

三谷浩司 牧師