『教会に共に集える祝福』(2026.6.14礼拝)
礼拝説教題『共に教会に集える祝福』 詩篇133篇
【主題聖句】
見よ。なんという幸せ なんという楽しさだろう。 兄弟たちが一つになって ともに生きることは。(詩篇 133:1)
聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
「人」という漢字が表しているように、神様は人間を互いに愛し合い、支え合って生きる平和で社会性のある存在して創造されました。しかし最初の人アダムが神様の愛を裏切って背信の罪を犯したために、人の心に悪が入り、互いに憎しみ合い、争い合うようになってしまったのです。
神様はそのような人類が最初の状態を取り戻すために、救い主イエス・キリストによる罪の贖いのご計画を立てられました。それでアブラハムを選ばれ、彼の子孫であるイスラエル民族を神様の選民とされました。イスラエルは当初エジプトで奴隷の状態でしたが、神様が恵みによって彼らをエジプトから救い出し、約束の相続地へと導き入れられたのです。 その後イスラエルはダビデの時代に周囲の敵国をことごとく打ち破り、ソロモンの時代には神殿礼拝を中心とした共同体となり、平和と繁栄がもたらされました。この詩篇はその時代を回顧したものと考えられます。
旧約のイスラエルは新約の教会の型です。神様は罪の中に死んで奴隷状態だった私たちをキリストの十字架の贖いによって救い出し(ローマ6:6)、やがて天の御国へと導き入れてくださいます。それまでの間は、地上で教会の礼拝を中心とした霊的な共同体・神の家族として共に生きるのです。だから聖書は、私たちが互いに「兄弟姉妹」と呼び合い、赦し合い、愛し合い、平和と一致を保つよう命じるのです(ヨハネ13:34、コロサイ3:13、エペソ4:3)。
主はそこに「とこしえのいのちの祝福」を約束しておられます。それは大祭司アロンの頭に香油が注がれ、ひげを伝って全身に流れ滴るように、またイスラエルで最も高いヘルモン山脈から降りる露により全地が潤されるように、神様の祝福がとどめなく満ち溢れ続けるということです。
ぜひ教会に集ってその祝福に共に与り、この世では決して得られない「何という幸せ、何という楽しさだろう」と言える体験をしてください。
三谷浩司 牧師
